松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

宗教教育とは?

noharra2006-06-01

文科相「学校ごとに宗教教育を」
 小坂憲次文部科学相は31日午前の衆院教育基本法特別委員会で、道徳心や公共奉仕をする心の欠如、学校での不登校、いじめ、学級崩壊などの例を挙げ、「昔のような日本の美しい情操、心の豊かさの大本は教育であり、教育基本法の改正が解決策の基本をなす」と述べ、改めて基本法改正の必要性を訴えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060531-00000024-san-pol

「佛の捨てしめ給ふものをば、即ち捨てよ」『散善義』
と強調する一遍上人の思想を学ぶことは、小坂憲次文部科学相におかれては宗教教育ではないと考えられているようだが。「宗教」という言葉*1を歪曲して理解した上で、政治的発言をしても誰にも注意されないとは、日本の文化程度は低いなああ。

*1:東洋のそれを考えるためには良い言葉ではないことは確かだが

憲法20条違反

 第2 に、「愛国心」や「公共心」をはじめとする多くの徳目を「教育の目標」(法案2 条)として掲げ、「態度を養う」という文言を介して、道徳規範を強制的に内面化させる仕組みを導入したことである。法案2 条の主要部分は告示にすぎない学習指導要領の「道徳」の部分を法律規定に“格上げ”することにより、道徳律に強制力を与えるものであるが、これは思想及び良心の自由を保障する憲法19 条に明らかに抵触する。
http://homepage2.nifty.com/1234567890987654321/kaichou~seimei.pdf
http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060531/1149110894 経由

 「信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。」とした憲法20条にも違反する。

無心寂静なるを佛という。意楽*1をおこすは、佛といふべからず。意楽は妄執なり。
一遍上人語録より p133より『仮名法語集』岩波日本古典文学大系) 

「何事かをなそうとする意思」を否定する思想は間違っていると考えるのが現在の常識かもしれません。しかしながらそれははじめに「主体あり」を置く西欧近代のアプリオリに従った結果でしかありません。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。(現行教育基本法

真理と平和を慈悲と読み替えれば、慈悲を希求する阿弥陀仏を信仰する個人のあり方も認められそうだ。

我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。(改正案)

現行と改正案は一見よく似ている。しかし現行では「個人の尊厳」「個性豊かな文化」が最終審級となっている。「改正案」では「この理想を実現するため、人間の育成を期する」と人間が手段に成っている。実現されるべき「理想」とは、「国家を更に発展させる」と「世界の平和と人類の福祉の向上」の二つである。同じ平和という言葉が使われているが「現行」では非常に抽象度が高いため例えば「阿弥陀仏の慈悲」といった宗教思想を連想することも可能だ。「改正案」ではイラク戦争推進派のものらしく「平和の名の下の戦争」に流れていく可能性が大きくある。で最大の論点は「国家を更に発展させる」である。
「意楽は妄執なり。」と一遍が全否定したそのベクトルの強さを21世紀にどう読むかであるが、ここは当然「国家は妄執なり。」と読むべきであろう。
「改正案」作者は、普遍も信仰も持たないがゆえに、国家というものをつねに幾分か超越化させるしかないという理路に陥っている。わたしたちはそのような「国家」を鋭く拒否すべきである。

*1:いぎょう。何事かをなそうとする意思。

ひとは愛の意味を知らない

いずれにしても、「愛がなにか」なんてことは難しすぎてわからないおいらには、愛国精神を法制化することに賛成も反対もできない。ただ、日本国民が真の愛国者になったら、ケツに火がつく連中がこの国には山ほどいるし、やつらはそんなことは百も承知だから、結局は真の愛国教育なんてものは望んでいないんことはミエミエだってことぐらいはわかる。

【試聴】 "You Don't Know What Love Is" Charlie Hunter

マイルスやコルトレーンらの多くの名演が残されているスタンダードナンバー(上は、1999年4月9日、コロラド州ボルダーのフォックスシアターでのライブ録音)。タイトルは、「あなたは愛の意味を知らない」と訳すより、「人は〜」と訳したほうがピンとくるような気がする。肝心なことはなにも知らないで生きている人間。
http://d.hatena.ne.jp/didgerido/20060516
ディジュリドゥな日記。

おとなり日記で http://d.hatena.ne.jp/didgerido/20060528
というのがあったのだが、「愛国心評価することがいけないとは言えないはず」と正論を述べるもので、真意が分からなかった。
引用した方の文章はとても面白かった。