松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

200万英霊は全身喜びに包まれ

しかしその小泉総理も「心ならずも戦地で亡くなった英霊」と表現していた。私はそれが心のどこかで引っかかっていたが、3.11でそうではないと得心した。
 福島第一原発の事故の時、決死の覚悟で放水活動に向かった消防士のもとへ「日本の救世主になってください」とメールを送った奥さん。南三陸町津波が来る瞬間まで「避難してください」と防災無線を担当していた25才の女性。
彼らは「心ならずの」の(原文ママ)行動だったのか。そうではないだろう。本当に公に尽くす無私の行動だろう。
 英霊たちもやはり、天皇陛下のため、国のために散っていた。それは「心ならず」ではなく無私の心、つまり愛国の情だろう。
 靖国に参拝した小泉総理でさえ、やはり戦後レジュームの中で洗脳されていたのではないか。私は3.11を経てそれを考えた。
 やはり東日本大震災は「このままでは日本は滅びる。日本人よ目を覚ませ!」という天からの警告であったではないか。
http://lite-ra.com/2015/04/post-1008_2.html

2011年8月15日、下村博文の公式ブログ(現在削除)より、とのことだ。


英霊たちは「天皇陛下のため、国のために散っていた」、それは人が生きる本来の生き方であり、それを全うできた彼らはむしろ幸せであり、悲惨ではない。という思想。
神学的にスッキリしていて、とても理解しやすい。


注意すべきなのは天皇という言葉は出しているが下村氏は、天皇崇拝者ではないであろうという点。つまり天皇を真剣に考えなくてもこの「神学」は成立するのだ。
好戦的とか戦前回帰とか天皇崇拝とかいって、この文章を批判、否定する人はすべて、矢は的に当たらず無効果だろう。


それだけ言っておきたい。