戦後神道界と沖縄─昭和30年代沖縄「島ぐるみ闘争」に呼応した葦津珍彦と青年神道家たち

花瑛塾(かえいじゅく)のブログに、昭和31年[1956]6月30日付「神社新報」葦津珍彦の文章が紹介されているので、ここで引用したい。

http://kaeizyuku.com/2018/12/16/19560630/
葦津は、沖縄では既に4万エーカーの土地が米軍基地として接収され、5万戸25万人の人々が土地を失ったとし、さらにこのたびの「プライス勧告」によって米軍基地の新規接収・拡大が認められ、その接収地の地代を一括払い、つまり事実上の買い上げ(固定化)が目指されていることについて、「アメリカ人の土地利用は、余りにも乱暴で贅沢すぎる」「島民としては到底きかれない勧告である」と米軍の横暴に憤り、沖縄の人々の過酷な状況へ思いを寄せている。


 なかでも葦津は神道家として、沖縄における伝統的祖先祭祀の要である「墓」に着目し、これらの墓が接収され改葬する間も無くブルトーザーで潰されていくことに深い同情を寄せている。そしのんちゃん@nogitama

昭和30年代の神道家たちは、沖縄への深い思いと敬意があった。沖縄戦基地問題に対してしっかりとした認識があった。日本政府の冷酷な沖縄への仕打ちを理解せず、心を寄せられない人々が「保守」などと名乗る現状に、葦津や当時の青年神道家の沖縄論をもって抗していきたい。て墓が潰され、「痛恨の情、禁じがたい島民の目の前には、広々としたゴルフリンクやテニスコートや娯楽用のドライヴ・ウエーまでが造られて行く」と沖縄の現状を告発している。


 また葦津は、記事執筆の10年前に沖縄で戦われた熾烈な沖縄戦を紹介し、日本軍が沖縄の人々を過酷な状況に追いやったことに触れつつ、「この島の人たちは、文字どほり死力を尽くして米軍と戦ひ抜いた人々のみである。それだけにあまい考へはない。抵抗の決意は、沈痛にして強固である」とし、「島ぐるみ闘争」へ敬意を表す。

1950年代の半ば、つまり戦後のどさくさで占領され基地拡大されつづけた沖縄に対して、本来なら日本国家が、沖縄返還、基地縮小を強力に働きかけるべき時期でした。しかしそうしたことはありませんでした。反対に、「「プライス勧告」によって米軍基地の新規接収・拡大が認められ、その接収地の地代を一括払い、つまり事実上の買い上げ(固定化)が目指さ」れたわけです。葦津がその直後に、きびしくそれに反対したことは、評価されるべきでしょう。


そして苛酷な沖縄戦のサバイバーに対して、巨大な災難の生き残りという評価ではなく、「日本のため死力を尽くして米軍と戦ひ抜いた」と愛国の大義を高く顕彰します。強大な軍事力に対して真正面から抵抗することの困難を乗り越えた勇気を評価しているのだ。また、そのような人々を事実上見捨てている、本土の現状を批判しているとも読めよう。


沖縄戦に巻き込まれた沖縄の民衆を「日本のため死力を尽くして米軍と戦ひ抜いた人」と評価すべきかどうか。日本軍など来なければ戦争もひょっとしたら、ここには、来なかったかもしれないと感じていた、非愛国的な人もいたかもしれない。日本軍によってスパイ扱いされたり、ガマから排除されたりした人も居たことは知られている。しかし愛国的な人もいたであのんちゃん@nogitama

昭和30年代の神道家たちは、沖縄への深い思いと敬意があった。沖縄戦基地問題に対してしっかりとした認識があった。日本政府の冷酷な沖縄への仕打ちを理解せず、心を寄せられない人々が「保守」などと名乗る現状に、葦津や当時の青年神道家の沖縄論をもって抗していきたい。ろうし、右翼としては少なくとも彼らの志しとその犠牲を真正面から讃えるしかないだろう。
しかるに、本土の右翼はそうした問題を直視することを戦後70年ずっと、避けてきたのではないか、と思われる。その例外が上の葦津珍彦であろう。

シモツカレ氏の1bit脳を再確認する。

https://twitter.com/nogitama/status/1084435031890681856 こののんちゃんという方のツイートに対して、
「昭和30年代の神道家たちは、沖縄への深い思いと敬意があった。沖縄戦基地問題に対してしっかりとした認識があった。」の部分を、シモツカレ氏は引用ます。
「1)id:noharra(野原燐)とその類友が「本心かどうかはともかく」安倍政権の沖縄政策を批判
2)そのため「理屈上」安倍を容認する「現状の」神社本庁を批判せざるを得ない
3)しかし神社本庁を結局かばいたいがゆえに「昔は神社本庁はまともだったんだ」と強弁してることがわかります。」と批判します。


私ものんちゃんも「昔は神社本庁はまとも/まともじゃない」とかいうことは一言も述べていないですね。にもかかわらず、シモツカレという人は、「神社本庁を結局DISりたい」というだけの、文字通りそれ以外にない「1bit脳」の人なのでしょう。私ともう一人を「神社本庁を結局かばいたい」のだと決めつけて、上のように展開するわけです。
10年以上、netで発言を持続しているにしては、あまりにオソマツというしかありません。