松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

大学の名/大学解体

大学の名において私たちは何を信じることを許されているのか
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/09/post_29/

その関連イベント。行く!というか自分、地下大学職員だった気がする・・・

大学の未来――「研究空間スユ+ノモ」(ソウル)×「条件なき大学」(デリダ)×「地下大学」(高円寺)=?
9月20日(土)19時- 
@高円寺・素人の乱12号店・北中ホール
⇒地図
講師:西山雄二(東京大学UTCP)
要旨:博士号を取得したものの就職先がない「高学歴ワーキングプア」たちが創設した、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体「研究空間スユ+ノモ」@韓国・ソウル。本発表では、動画資料を交えて「スユ+ノモ」の創造的な挑戦について報告をおこない、ジャック・デリダの大学論を踏まえつつ、日本の大学や研究教育の可能性をめぐって討議をおこなう。
参考文献:『現代思想 2008年9月号 特集:大学の困難』(青土社
http://www.rll.jp/hood/text/harpobucho/20080918224049.php#more

また、大学闘争の世界史性が、全ての既成概念〜ジャンルの解体を明らかにしている以上、私(たち)の試みが、どのような表現ジャンル〜刊行・公開様式をも踏みこえているのは明らかである。(時の楔通信<8>号 p38 )

 高学歴ワーキングプアとは誰か? 松下、n本はまさに該当する、と書きかけたが彼らは労働者であることも(どういう理由で?)できなかった。それに彼らがプアになったのは「闘って、排除されたから」である。「闘って、排除される」ことなしに予め失われたプアたち。そして彼らが持っている唯一のもの高学歴とは何か?

この世界を自分なりに思考したいという素朴な欲求や、学識を通じて何かを実践したいという若やかな渇望が大学においてすでにして、新自由主義的な経済活動と同質的な論理に即して効率性や収益性、卓越性の尺度でもってあらかじめ評定され、次第に、しかし確実に色褪せていく時代にあって、ひとりひとりがそれぞれの現場で「学問を通じて自分が何を信じているのか」という本源的な問いにくり返し立ち戻らなければなければならないとき、いやもっと言えば、そうしたある種の信仰告白の形でしか研究教育の来るべき可能性について語ることがもはや許されないようにみえるとき、研究教育の伝統的な制度たる大学はいかにして存続するのだろうか、いや、大学という旧来の制度は社会的で経済的な条件のもとですでに根本的な変化を強いられているのだから、むしろ、大学の名はいかなる場においてなおも生き延び続けるのだろうか、そして、大学の名はいかなる場を通じて私たちをなおも呼び求め続けるのだろうか。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2008/09/post_29/

「大学」には 1.027 パーセントの「大学闘争」が含まれています!
「大学」には 1.028 パーセントの「大学紛争」が含まれています!

「大学」には 0.9698 パーセントの「利益」が含まれています!
「大学」には 0.4466 パーセントの「生活」が含まれています!
http://www.malib.net/misc/iiojun/ingredient.html

なるほど、大学解体のスローガンどおり大学は解体してしまったのだ。「そうしたある種の信仰告白の形でしか研究教育の来るべき可能性について語ることがもはや許されない」私たちは気弱で良心的な教員たちに少しのダメージを与えつづけかもしれないが、彼らは「知は交換価値でなければならない」とするドグマを信奉する勢力によって攻撃されつづけ危機にあると。