マンシャー書記長の暗殺
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(上)反軍政カギ握る人物失う マンシャー書記長の暗殺
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山本宗補
信濃毎日新聞
2008年3月26日二月十八日、ビルマ(ミャンマー)の少数民族解放組織、カレン民族同盟
(KNU)のマンシャー書記長(64)の火葬が、タイ国境に近いKNUの解放区で執
り行なわれた。書記長はその四日前の十四日、タイ側の町メーソットにある自
宅兼仕事場の二階ベランダで、イスに座って休んでいたところを、胸と腹部に
銃弾を三発浴び、暗殺された。ビデオジャーナリスト長井健司さんの射殺事件以降、ビルマの軍事政権が長
年、辺境地野の少数民族に対して、その生活基盤を破壊しつくす軍事作戦を行
なってきた実態にもようやく関心が向けられつつある。マンシャー書記長は、
軍政に抵抗する少数民族最大の勢力で、国外で活動する民主化勢力とも共闘す
るKNUの、実質的なトップだった。書記長の暗殺事件当時、敷地内での建築工中のため、ふだんは閉じている鉄
製の門が開いていたという。車で乗り付けた男二人は開いた門から入り、階段
を上がった。果物かごを手にした一人が「ハラゲー(こんばんは)とカレン語
であいさつし、至近距離から書記をピストルで二発撃った。その後にもう一人
の男が発砲したという。二人は、エンジンをかけたまま駐めてあった車で逃走
した。書記長は即死だった。殺害現場を見せてもらうと、イスの緑色の背もたれに、貫通した銃弾による
穴が一カ所空いていた。マンシャー書記長は、私が二十年前にカレン民族解放闘争を取材し始めた頃
からの知人でもあった。暗殺現場となった家は、二年前の取材時にも泊めても
らい、書記長やKNUの若者たちと一緒に食事をした。「政治的な問題は政治的
な方法で解決したい。武装闘争は自衛の手段にすぎない」。番記長は口癖のよ
うにそう語っていた。暗殺の実行犯はカレン民族の男性で、KNUから分派し、軍政側に投降したグ
ループに属す兵士または元兵士と見られている。一見、内部抗争にも思える構
図だ。しかしKNUや民主化運動の関係者は、暗殺事件を、KNUの内部分裂を工作
してきた軍政が仕組んだ政治的事件と見ている。書記長の死が軍政を利するの
は明らかだからだ。書記長と私が初めて会った一九八八年、民主化運動に対する国軍の武力弾圧
で、ビルマ人学生や市民、僧侶数千人が、タイ国境のKNU解放区に逃げ込んで
いた。ラングーン大学を卒業し、当時、ボーミャ議長(二〇〇六年死去)の秘
書を務めていたマンシャー氏は、民主化運動の学生活動家や政治家とKNUが共
闘するための潤滑油の役割を果たしていた。マンシャー書記長はまた、クリス
チャンが指導層を占めるKNUのなかで、数少ない仏教徒でもあった。二年前、マンシャー書記長が「いまの若い(民主化運動)世代は連邦国家制
に賛同している。少数民族の自決権も平等権も賛同してくれている。だからい
まは、カレン民族にとっても、良い状況だ」と話していたのを思い出す。暗殺事件直前の今年二月九日、軍政は、八八年に停止した憲法に代わる新憲
法草案を五月に国民捜索にかけると、突然発表した。それによって軍政は、ア
ウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した九〇年の総選挙結
果を、完全に反故にしようとしている。自宅軟禁下にあるアウンサンスーチー
氏は昨年十一月、国道のガンバリ特別顧問に託した声明のなかで、「少数民族
の意見を考慮することはとりわけ重要だ」と述べた。政治支配の恒久化を狙う
軍に対し、民主化運動と少数民族のさらなる結束が目指されていたまさにその
時期に、暗殺事件は起きた。葬儀には、二十年前、学生活動家としてKNU解放区に逃げ込み、その後、タ
イのチェンマイを拠点に母国の民主化運動に関わり続けるアウンナインウー氏
の姿もあった。彼はマンシャー書記長の死をこう惜しんだ。「意見の異なる幅
広い層をまとめ、反軍政の闘いを進めていくためのカギを握る人物だった。野
蛮な連中のせいで、彼の命がむなしく失われたことは、カレン民族だけでなく、
ビルマ人にとっても悲しむべきことだ」。【写真】カレン民族解放戦線の兵士が警備するなか、荼毘に付されるマンシャー
書記長の遺体=2008年2月18日、タイ国境のカレン民族同盟(KNU)解放区
撮影:山本宗補
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/92ab70495c503e62f5957d398f8909ef
参考:http://homepage2.nifty.com/munesuke/za-2008-2-22.htm
マンシャーさんのことは2月に宇田有三さんがちょっと話していたと思う。ただビルマについては勉強不足でリアリティを持って受け取ることができない。
2006年の1月にイスラエルはハマスの精神的指導者ヤシン師を暗殺した。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060127#p1
http://nekokabu.blogtribe.org/entry-09a4418419514559ce79f2d82f83cdbd.html
それに匹敵するようなできごとであるのかどうか、正確には分からないのだが、おおざっぱにはそうなのであろう。
もっと大雑把に言えば、ミニ・ダライラマの暗殺。 チベット人の意思表示は暴力的に抑圧されておりそれに対し中国政府を批判すべきであるとわたしは思う。
それと同時に、ビルマ(=タンシュエ議長)やイスラエルの暴虐にも目を向け批判していくべきである。*1
*2
日本はビルマ難民を受け入れよ。
ビルマ難民の再定住の受け入れについて日本政府は、昨年十一月に来日した
グテーレス国連難民高等弁務官に、「検討する方向」と回答した。その後、野
党議員二人がそれぞれ難民キャンプを視察したが、政府・与党の動きはない。
メーソット周辺三カ所の難民キャンプを管轄するUNHCRメーソット事務所の所
長、税田(さいた)芳三氏は「UNHCRはできる限りの協力を惜しまない」と話
す。しかし、「民間の人権団体は調査に来るが、日本政府からの協力要請も現
場視察の問い合わせもない」。日本政府は軍政下のビルマへの人道援助を続ける一方で、難民への援助には
冷淡だ。少数民族や民主化運動への弾圧が続くビルマの民主化を支援する意志
は、ここでも見えない。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/92ab70495c503e62f5957d398f8909ef