松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

一面的

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 のコメント欄より。

noharra 『なぜバンザイクリフの事を書かないのか?・・・バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)

# drmccoy 『ここでバンザイクリフの話を出したのは、「バンザイクリフで亡くなった人たちはすべて純粋に犠牲者である」という事が言いたかったのです。純粋に戦争の犠牲者である民間人の慰霊碑まで冒涜するのは、いくら日本が嫌いだから・昔の日本は悪かったと言っても絶対に許されない、分別がなさすぎると言いたいのです。

「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』 (2005/06/29 19:38)

(某氏)(一部だけの引用)
天皇サイパンで)もうすこし頭をさげたことにどれだけの意味と意図があるかちゃんととらえてほしい。…

# drmccoy
あるていど正義か悪か、という視点でものを見るのは人間として仕方のない事だと思いますが、正義によいしれる事で事実がゆがんで見えてしまうというのは困ったものです。

 わたしにはただの責任逃れにしか聞こえない。
マッコイさんは、責任の所在という問題については(何を考えているのか分からないが)答えようとしない。それは結局、「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場である。
 これは今回の列車事故に例えればJR西日本の社長などに対し責任追求する必要なし、という立場と同じだな。「一面的」といってある責任追求を無効化しうるなら、権力者はつねに免責される。
 戦争というのは自然現象であり責任は問えないものとでも考えているか。巨大な現象であり一個人の賢しらな智恵で裁断すべきでないとでも。しかしながら<賢しらな智恵を越えたより大きな物>、は存在しない。天皇が頭を下げたらすべては許されるべきなのか。無惨に死んでいったサイパンの人々のことを思うときそれは詭弁でしかない。
「糞尿の臭いと血や膿の臭いが、死臭と混じり合ってものすごい臭い」戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとするのか? 現場を離れた東京でのうのと暮らしていて国体護持だの反省だの心にもない言葉を操り続けさえすれば生きのびることができた人々のうすっぺらな言葉を愛好して(頼まれもしてないのに)おしゃべりし続けていくのか?

 神と人とが入れ替わる

サイパンで神と人とが入れ替わる
  吉田茂

朝日川柳 6/30より。
天皇人間宣言のことを言っている。なぜ人間宣言が出てくるかというと、日本はただの戦争をしていたわけではない。日本は神国であるという絶対にゆるがせに出来ぬイデオロギーがあり、従って降伏や投降はありえないという強固な建前があった。民間人がなぜ大量に死ななければならなかったのかといえば、神=天皇に背くことである投降はあってはならないことだとされたからである。死者の時間は動かない。したがって、彼らは、神の前で崖から飛び降りた、その少し後の姿で凍り付いたまま戦後60年間を過ごしたのだ、と考えられる。いま天皇が彼らの前に立つことにより彼らの凍り付いた時間はようやく少しづつ動き出すことができよう。だがいま彼らは天皇に何を言いたいだろう・・・

気高く死ぬ(7/12訂正)

そういう教育」を受けていなくても、私なら飛び降りて自決するだろう。

「敵に捕まれば、男は殺され、女は辱めを受ける」と言われていたらしい。実際、その通りだっただろう。

敵軍の男に捕まるくらいなら、私は、日本人の女として、気高く死ぬ。

http://d.hatena.ne.jp/ButterflyNamida/20050627 GRAPEFRUITS+CARNIVAL - 絶壁の記憶

 この文章はわたしにとってショックでした。バンザイクリフの死者は私にとって「絶対的被害者」である、国民の(少なくとも辺境の国民が)1万人ほど死のうが生きようが余り気にしない「皇軍」というものが加害者である。したがって「国のために」なんてお題目はちゃんちゃらおかしい。むしろ皇軍の加害者性がどの程度在ったのか、正確に検証し、糾弾しなければいけない。というのがわたしの理解でした。21世紀の現在になって、「私なら飛び降りて自決するだろう。」と言い出す人が出てくるとは思いませんでした。確かに自己責任において自決していったという面もないとは言えない。同じ情況で生き残った人が半数はあるわけですから。そして現在ためらいもなく誇りを持って「気高く死ぬ」と言っている人がいる。自決した人はどんな気持ちで死んでいったのか。自決せざるをえない情況にまで追いつめられた運命を呪い、サイパンを戦場にした皇軍を呪い、降伏という選択肢があるなどと夢にも思わず死んでいったのだろう。そうではなく「 敵軍の男に捕まるくらいなら、私は、日本人の女として、気高く死ぬ。」と思って死んでいった人もいたかもしれない。だが(失礼だが何も知らないこの文の筆者が)考えるほど戦場とはシンプルなものではないだろう。自分の家が壊され、野山を砲弾を避けようとしながらろくな食糧もなく逃げまどう、「日本人の女として」という一つのフレーズがそうしたある女性の生死の総体を支えることが出来ただろうとはとうてい想像できない。
それにしても筆者が今「日本人の女として、気高く死ぬ。」と言うのなら、それは嘘ではない場合、筆者の真実がそこに掛けられているわけだ。愛がなければもちろんわたしは筆者に影響を及ぼすことはできない。

すいませんでした、ButterflyNamidaさん

 前回のコメントは感情的になりすぎていました。上記と差し替えました。
すいませんでした。

なお、(訂正前は以下の通りでした)

信じられません。そんなことを言うくらいなら「大東亜の大義」について真面目に考えたらどうだ。「イラク占領」に加担することは大東亜の大義に反すると思うぞ。あなたの現在はアメリカに魂を売り渡しているわけではないのですね。

「実際、その通りだっただろう。」は全くの事実誤認。