野渡氏の経歴など
2010年12月10日の段階では野渡氏は劉暁波の友人として毎日新聞に手記を寄せている。
ノーベル平和賞を受賞した劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏(54)の授賞式に合わせ、劉氏の友人でインターネットを通じた民主化運動を続ける中国在住の作家、野渡(やと)氏(40)が毎日新聞に手記を寄せた。野渡氏は劉暁波氏の妻、劉霞(りゅう・か)さんが平和賞授賞式に招待した140人余りの中に含まれている。野渡氏は劉氏の受賞決定後、中国当局による事情聴取や家宅捜索を受けたという。授賞式への出席も望んでいたが、中国政府による出国妨害のため断念した。政府の圧力に危機感を強めながらも、リーダー不在だった中国の民主化運動が受賞によって前進すると指摘した。【まとめと訳・河津啓介】
劉暁波氏は自由を求める民衆の象徴であり、名実ともに世界最高の栄誉にふさわしい人物だ。平和賞は劉氏だけでなく、彼が代表する(言論の自由など民主化を求める)「08憲章」の精神や、自由のために犠牲を払った人々に対する評価と言える。
受賞は民主化への大きな弾みとなる。劉氏は南アフリカのネルソン・マンデラ氏やミャンマーのアウンサンスーチーさんのような存在になるだろう。バラバラだった中国の民主化運動は団結へと向かうはずだ。
中国国内でも受賞に多くの人が歓喜した。だが、政府は民間の熱烈な反応を重大な挑戦ととらえた。祝宴を開いた人々は各地で警察に連行され、政府は即座に情報を封鎖した。
国内の大手インターネットサイトは関連する記載を次々と削除した。あるネット管理者は利用者に向けてこう記していた。「みなさん、こちらは夕食を食べる暇さえありません。削除作業で手がくたくたです」。携帯電話でも「劉暁波」の3文字が含まれたメールは遮断された。
劉霞さんは受賞発表直後から、北京市の自宅で軟禁生活を強いられている。自宅の周囲は青い鉄板が高く張り巡らされ、記者らの接近を阻んでいる。10月24日、ネット上に劉霞さん名義の公開書簡が発表された。書簡では「私の軟禁状態がいつ終わるかわからない」として、友人らの名を挙げて代理出席を呼びかけていた。私の名前も含まれていたが、政府はこうした人物やその家族の出国を禁じた。授賞式と関係ない目的で海外渡航しようとした人さえ出国を許されなかった。
政府は受賞の影響が国内に広がることを絶対に許さない。高圧的な手段で民衆を抑え込もうとしている。だが、中国の民衆は目覚めた。89年の天安門事件後、停滞していた民主化運動は再び勢いを増している。草の根の運動により、いつの日か中国に自由と民主が実現するはずだ。
◇野渡氏の経歴
中国・広州市在住。01〜06年、民主化などを求めるインターネットサイトを国内で運営。5年間で当局から50回近く閉鎖されながらも活動を続け、劉暁波氏から「民間サイトの守り手」と評された。中国の作家団体「独立中文ペンクラブ」会員。劉氏は名誉会長。