松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

正義は遂行的に

N・Bさん
はじめまして。コメントありがとうございます。

「「正義」は論理的根拠としてではなく遂行的に現れるとすると、これは案外おおやさんの立場と近いのではないでしょうか?」
なるほどそうかもしれませんね。(従軍慰安婦問題とか言うと議論がすぐに感情的に過剰に対立的になる危険性があり注意しなければいけませんね。)

北田さんの「責任と正義」ですか。前から気になっていたのでこの際買ってみよう。わたしは勉強不足で、N・Bさんが前提にされているのであろう多くの本を全然読んでいません。(2,3冊読んだのは立岩氏くらい)
「「責任のインフレーション」(北田暁大)という事態が思わぬ反動的効果を現す」ということも分かったようで分からない。
梶さんやおおやさんと「共有してしまっている」何かがある、というのは、そうだと思います。ただ、「歴史からの反省」、というのがよく分からない。
孫歌と結託した溝口一派がいつまでものさばっているのが気にいらんというようなのはどこにでもある関係性なのかもしれないけど、学界外部にはほとんどないのでは?
わたしは全くの素人です*1。ただ、いまや戦争のことは誰も実体験としては知らないわけで、そこで声の大きい方が勝つ(大衆のイメージ操作に成功する)ということは事実起こってきていることだと思います。
緻密な議論は必要ですが、慰安婦あるいは兵士の声に耳をかたむけるという行為がまずは必要だということになるのではないでしょうか。傾けたからと言ってヒステリックな慰安婦主義者にはならないでしょう、だいたいそういう者がどこで実害を及ぼしているのかが、よく分からない。(わたしもあまりできていないが)
ぜひ、もう少し説明してください。

*1:デリダや岡野氏の文章の一部をむりやり引用して書いているだけで、それらの文章がふつうどう読まれているのか分かっていません。ですからコメントはとてもありがたいです。