松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

シオニストの目的は何か?

 上で、「「手島氏は無教会主義の先駆者である内村鑑三の下で修行した」という由緒正しい系譜の方である。」と書いたのは、ある意味皮肉を意図したものである。
 無教会主義とは、宗教のためには政治や組織などというものは不要であるとしていさぎよくそれらを切り捨て個人の内面的宗教だけを求めようとする志向であろう。であるのに開祖が死んだからといって、宗教とは直接関わりのない政治的「愛国主義的」運動に大量動員をかける。そのような宗教団体は無教会主義の本旨から外れている。聖書によって自己の核心にドライブをかけるという点では共通するのかもしれないが。「幕屋のようにユダヤ教や再建された現代イスラエルから学ぼう」すること自体は、いけないことではなかろう。
しかし、純真な信者のエネルギーが、イスラエル国益キリスト教シオニズムの歪んだビジョンのために利用されているのではないか、という疑いは捨てきれない。
(3/4追記)