松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

トマサ・サリノグ、日本兵に幽閉されて。

〔ビデオ証言(英語によるナレーションつき)〕
トマサ・サリノグ証人
 私はトマサ・サリノグです。一九二八年一二月八日アンティケ州パンダンに生まれました。一九四二年、日本軍が上陸したとき、父と私は、サンレミギオ山に避難しました。当時の知事、アルベルト・ヴィラヴェルトは避難した人々に家に戻るよう呼びかけました。夜になって、日本の偵察隊がキャンプに戻ってきました。キャンプはイシハラ〔石原産業倉庫〕にあり、そこへ四人の日本兵がやってきました。父と私はもう眠っていました。日本兵が呼びますと、父はこういいました。「気にするな、返事をしてはならない。静かにしているのだ。もう遅いから、彼らはしばらく立ち去らないだろう」。私たちはまた寝ようとしましたが、眠らずに耳を澄ませていました。日本兵は怒って扉をたたきました。扉は破られ、父は立ち上がって戸口へ行きました。私も立っていました。一人の日本兵が入ってきて私の腕をつかみ、言いました。「子供か、いっしょにこい。おまえはわれわれとくるんだ」。父は、「一緒に行ってはならない、もう夜も遅い、行ってどうするのだ」、といいました。日本兵は父の言葉を耳にすると、走ってきて刀で父を打ちました。父は倒れ、私はかけよって父を抱きおこしました。父がまだ生きていると思ったのです。他の兵士たちもやって来ました。私を蹴りました。私は立ち上がりました。彼らは私を連れだし階段のほうへ行きました。私は引きずられながら父のほうを見ていました。その時父の頭が体から切り碓*1されているのを見たのです。私は父から目を離すことができませんでした。私は泣きじやくりました。
 彼らは私を大きな家に連れて行きました。「子供、泣くんじやないよ」と日本兵は言いました。私は小柄でしたが、ぽっちやりしていました。その時一三歳でした。父は私に良くしてくれたのです。兵士は私の体を持ち上げて床に落としました。起きあがろうとしましたができませんでした。まるでピンで留められたようでした。抵抗しようとしましたが、彼は固いもので頭を殴りました。ここが殴られたところです。そうして彼らは部屋から出て行きました。
 彼らはまたやってくると、水を持ってきて、私の体を洗いました。その晩私はレイプされました。その兵士はまた戻ってきて、私にこういいました。「私はおまえの父を知っている。私とおまえの父親は友達なのだ」。「友達なら、なぜ殺したのか」と私は尋ねました。すると、「おまえをよこすように言ったとき、おまえの父は言うことをきかなかった。それで頭にきた」。だから男は腹を立てたのだというのです。
 私はそこに一年いました。ときには二人、あるいは三人の男にレイプされました。四人のことさえありました。彼らはかわるがわる私をレイプしました。いったいどうしてこんなふうにレイプされるのに耐えられるでしょう。ただ泣くだけでした。
 しかし私は彼らから逃げることができたのです。日本兵たちは山で活動して帰ってくると、酒をたくさん飲みました。酒を飲んで遅くまで起きていました。そのため翌朝大慌てで、鍵を置いて行きました。私はその鍵でドアを開け、調理場に衛兵がいないかどうか急いで確かめました。逃げるなら今だと決心しました。毎晩兵隊たちが部屋にやってきて、つらい目にあわされたことを思いました。鍵をつかみ、衣類の入った箱を持って下へ降りました。家の外に見張りはおらず、私は塀の外に出ました。精一杯走りました。とても怖かった。私はある老夫婦に助けを求めました。「おじいさん、私をここにおいてください、水も運びますし、薪も集めますから」と。
泣きながら頼みました。その老夫婦は行くところのない私を哀れに思い、受け入れてくれました。
 三日後、オクムラがイロイロからから車で来ました。私を見ると、車をとめ、老夫婦に、水汲みをしている若い女をよこすように求めました。「女はどこだ、かくまうと、おまえたち二人とも首を切るぞ」、といいました。彼らは怖くなって、私を引き渡しました。
 私は泣きながらこの将校に連れられていきました。すると彼は、「怖がるな、私はいい男だ。私のために働いてくれれば、お金を払おう。床を掃き、私のものを洗濯し、干すのだ、いいな」、こういいました。私は承諾しました。オクムラとの暮らしは楽でした。というのも彼は一週間に一度、ときには二週間に一度戻るだけだったからです。ほとんど彼はイロイロにいました。戻ってくると、私をレイプし、彼の友達も私をレイプしました。
 一九四四年から四五年にかけて、私はオクムラのもとにおり、一九四五年にアメリカが上陸しました。オクムラと一緒だったのは、半年ほどでした。その後、私は家に帰りましたが、私の家は壊されていたので、テイタ・アタロを訪ね、彼女のもとにいました。受けた傷は深く、とても耐えられないと思いましたが、私は生き抜くために、耐えなければなりませんでした。結婚は一度もしませんでした。あらゆる求婚を断ってきました。結婚したくありません。もし結婚すればあらゆることが再び起きるような気がするのです。もし夫が私を傷つけたら、私はどうしたらよいのでしょう。誰が守ってくれるでしょう。誰のものへ行けばよいのでしょう。誰が面倒を見てくれるでしょう。私は、日本兵の使い古し、といわれるのです。

 わたしは正義を求めます。私は正義を求めます。

p132-134『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より

*1:noharraがテキスト化したときに誤字を作っているようだ。いま本が手元にないので確認できません。