松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

神の国の兵士が戦車から出て

まず、食と衣を得ることに努めよ。
そうすれば、神の国はおのずから汝らに与えられるであろう。(ヘーゲル
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イスラエル軍の戦車が私の家の前に止まっていました。家から10メートルから20メートルほど離れたところでした。午後1時ごろでした。マイクで家を出てくるようにと告げられたので、私たちは家を出ることにしました。白旗を掲げ、娘たちと母、その後ろから私と妻が続いて外に出ました。日中だったから娘たちの姿や白旗ははっきり見えていたはずです。

2人の兵士が戦車から出て、チョコレートのようなものを食べていました。5分後、もう1人の兵士が戦車から降りてきました。そしてその兵士が突然、私たちに向けて撃ち始めたんです。3人の娘と母が撃たれました。4人は身長も年齢もそれぞれ違っていたのですが、4人全員が真っ直ぐに胸を撃たれていました。7歳のサアドは12発撃たれ、2歳のアマルは5発、4歳の娘は3発撃たれました。母も3発撃たれました。
http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20090202.html

「ガザ市の東部、イスラエルとの境界から1キロ足らずの村アベドラボ」で、事件が起きたのは、イスラエル軍の地上侵攻から4日目の1月7日、午後1時ごろだった。」とのこと。
ヘーゲルと少女2人射殺事件は何の関係もない。
イスラエルは、日本とは全く別の意味で「神の国」以外の国ではない。そして、イスラエルは「まず、食と衣を得ることに努め」続ける、砂漠に対して絶望することなく灌漑を与えつづけることにより、労働を1ミリづつ積み重ねることにより建設された国家である。神の国は建設された。些細な問題点が一つ残っているだけだ。隣人が時々騒音を出すので懲罰しなければならないという問題が残っているだけだ。
 今回のガザ侵攻は、ヘーゲル以来のわたしたちの近代の総体が持っていた歪みが正確に表現されたものである。わたしたちの近代の総体が曲り角にきている、とわたしたちは自覚できるか?